今の子どもたちにとっては、それほどのことはないかもしれない。だが、ほんのひと昔…あるいはふた昔前、あの頃の子どもたちにとって「腕時計」は憧れの的だった。
今でこそ、デジタル表示のクロックユニットが大量生産され、子どものオモチャにまで当たり前のように組み込まれている。だが当時は、まだまだそんな状況ではなかった。何しろようやく「クォーツ」というものが登場し始めた頃だ。腕時計といえば機械式がほとんどで、それなりに高価なものであり、とても子どもが身につけられるものではなかった。
それだけに「自分の腕時計を持つ」ということは、大人への大きな一歩だった。自分で自分の時間を管理し、行動する。腕時計を持つ、与えられるということは、すでにそうした自己管理ができると見なされた証だ。親から贈られた初めての腕時計を、少し照れくさそうに彼らは自分の腕に巻いた。
もっと幼い子どもたちは、兄や姉の誇らしげな姿を羨ましく思いつつ、いつか自分も…と憧れを膨らませながら、自分の手首にペンで時計の絵を描いた。指し示す時刻がいつも「3時」だったのはご愛敬だ。丸形や角形、楕円形など、父や母が使っていた腕時計を思い浮かべながら描いたものだ。
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高級宝飾店として長い歴史を持つブルガリの、本格的な日本上陸は90年代。だがその特徴的なデザインで、ブルガリはまたたく間に大きな人気をさらった。ことに幅の広いリムにブランドロゴを円形に配したデザインリングは、若い女性たちの心をつかんだ。
同デザインのウォッチシリーズも人気を博した。ブルガリが時計を作り始めたのは1977年と、他のファッションブランドと比較すると後発組ではあったが、好景気に沸く90年代前半の日本で、その存在感を飛躍的に高めていった。ひと目でそれと判る、しかもイタリアンブランドらしい若さや遊び心にあふれたデザインが支持された結果であったろう。
クリスマスに、あるいは誕生日に、ブルガリをプレゼントされて顔をほころばせた女性たちは、いったいどれほどいただろうか。ブルガリとともにプロポーズを受けたという、幸福な女性もいただろう。小さなジュエリーケースをそっと開き、「BVLGARI」の文字を刻んだ美しい輝きを目にしたとき、彼女たちはみなそれぞれに人生の階段をまた一歩、昇っていった。幼い頃から一段ずつ踏みしめてきた、長い長い階段を。
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